Aki District, Kochiの公務員

Aki District, Kochiの公務員を見つける。リスティングに含まれるもの 馬路村の歴史. 詳しい情報に関しては、マップの下のリストでそれぞれクリック。

  • 11/27/13
    【1181年-1186年】相名の起源と大野家  大野源太左衛門尉盛高は、もと越前国(福井県)大野郷大野村に住居していたが、後に近衛大将軍平重盛の家来となり、左衛門府の役人となった。 治承3年(1179年)の春、平重盛が病気になったので、家臣大野源太左衛門尉盛高は、主君重盛の病気平癒祈願のため、紀州(和歌山県)新宮の熊野十二社権現(熊野速玉神社)へ参籠したが、そのかいもなく重盛は同年7月29日、...
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  • 11/20/13
    【1157年】平隆長 馬路へ隠れ住む~「馬路の名前の由来」~ 1156年、朝廷が強い影響力を持った平安時代から武家の時代へと変わる大きな転機を迎えることになる。皇位継承問題や摂関家の内紛により朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った世にいう保元の乱である。 1156年7月10日崇徳上皇方は左大臣藤原頼長・源為朝・平忠正・平隆長ら1000余騎が白河殿に集結し信実率いる興福寺...
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  • 11/19/13
    【1092年】古文書に「柳瀬(やなぜ)」の地名 馬路村魚梁瀬は古くは柳瀬とも呼ばれていたが、元禄13年(1700年)の土佐国絵図面には魚梁瀬という地名がある。 魚梁(やな)とは、竹または柳でつくり、川へ仕掛けて魚をとる道具のことをいう。 「おらんく地名考」には、八尺瀬の意で広い瀬であるとの解釈で、ヤナセではなく、ワタセ(渡瀬)、渡れる瀬、または渡舟場のある瀬という解釈である。瀬が浅く...
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