信州ナレッジスクエア

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県立長野図書館が運営する『信州ナレッジスクエア』は、信州という窓から信州という窓からさまざまな情報を手にし、世界を再発見し、未来をつくるための「知の広場(ナレッジスクエア)」です。
信州の自然風土、コミュニティ、人、はたらくこと、学ぶこと…
そんな信州のくらしの中で「なるほど!」という実感を持って、共に知り、共に学ぶ。そして、そうした情報や知を蓄積し、わかちあい、活用するための「知の広場」です。

【幕末に輸入された  #長崎東衙官許 図書】(普段「信州デジタルコモンズ」掲載の資料を紹介しておりますが、今回紹介の資料は、それに該当しないものとなります。)オランダ、といえばワールドカップ2026での対戦(6月15日)を、「あれからもう1...
18/07/2026

【幕末に輸入された #長崎東衙官許 図書】

(普段「信州デジタルコモンズ」掲載の資料を紹介しておりますが、今回紹介の資料は、それに該当しないものとなります。)

オランダ、といえばワールドカップ2026での対戦(6月15日)を、「あれからもう1か月以上経ってしまったのか」と遠い目で思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。
県立長野図書館では、江戸時代末期に、そのオランダから輸入された書籍を所蔵しています。
https://www.knowledge.pref.nagano.lg.jp/collection/other/index.html 内「信濃教育会寄贈オランダ語関係図書」に目録掲載
「寄贈 信濃教育会」という印があり、昭和4年の県立長野図書館開館に際して信濃教育会から寄贈されたものと思われます。
これらの図書については、昭和17(1942)年9月発行の『読書信州』で、上智大学教授池田哲郎氏が「我国精神科学史上徳川時代に於ける蘭学の与へたる影響及びその発達経路を調査する為」来館したという記事が掲載されています。
また、昭和33(1958)年に発行された『蘭学資料研究会研究報告(26)』で、その目録を掲載しており、研究者にはこれらの図書の存在は知られていたのかもしれません。が、その特殊性からか、所蔵目録の電算化の対象となっておらず、今日ではその存在について知る人も少ないと思われます。
このうち、『Gronden der toegepaste werktuigkunst』などには、上記寄贈印のほか、由来を示す印がいくつか見られます。
「長崎東衙官許」については、宮脇英俊氏による、「『長崎東衙官許』捺印資料の一考察:長崎大学武藤文庫所蔵の蘭書を中心に」(『九州地区大学図書館協議会誌』68 2026年)で、「この印は、幕末の徳川幕府が長崎奉行に命じた輸入洋書の検査制度に基づくものであり、その職務は長崎奉行所立山役所が担った。検査を通過した洋書には「長崎東衙官許」の印が捺され、この検印は、幕末期に日本へ舶載された洋書が、公式な検閲を経て国内に流通したことを示す重要な手がかりとなる。」と説明されています。
「陸軍所」は、『国史大辞典』によると、慶応2(1866)年11月に、幕府が旗本・御家人の砲術修行の場所として旧講武所を改称して設置したものの、明治元(1868)年4月に消滅した機関とのこと。同じく『国史大辞典』では「沼津兵学校」(印は「沼津学校」)について、明治元年の徳川家の駿府への移封の決定後、幕府が残した書籍・器械や人材の活用のため、明治2(1869)年に開校した、とあります。明治4(1871)年の廃藩置県を経て兵部省へ移管、改称を経て明治5年陸軍兵学寮東京本校に吸収されたとのことです。「沼津学校」の蔵書印の上に「拂」印が押されていますので、幕末にオランダから幕府の公認で輸入され、引き継がれた幕府の蔵書としての役割はここで終えたということのようです。
その後、「三浦省吾」氏の手に渡り、信濃教育会を経て当館へ寄贈された、ということが推測されます。
この三浦氏ですが、株式会社リプロ様提供のウェブサイト「おもしろ地図と測量」(山岡光治様作成)のコンテンツ「地図測量の300人 日本人篇」で紹介されている方と同一と思われます。
https://www.ripro.co.jp/yamaoka/ac-main.htm (2026年7月18日アクセス確認)
現在の千曲市に生まれ、佐久間象山に学んだ後、その推薦で勝海舟に寄宿し、幕府の海軍に勤め、戊辰戦争にも従軍。「赦免されて静岡藩に属し」とあるので、沼津兵学校との接点はこの辺りにあったのかもしれません。その後工部省測量司、内務省地理局などで測量に従事したようです。
御子孫の上田はる様が『私の資料探訪(1) 小川家の人々』、『私の資料探訪 小川家の人々 三浦省吾補遺』でも詳しく紹介されています。
古い物はオランダでの発行から200年。経てきた歴史を蔵書印が一層感じさせる資料ではないでしょうか。

【100年前の  #郡役所 廃止】先月6月4日、北信公共図書館連絡協議会の館長・庶務担当者会議が須坂市の旧上高井郡役所で開催されました。普段こうした会議は図書館で開催されることが多いのですが、今回は須坂市の指定有形文化財に指定されているこち...
02/07/2026

【100年前の #郡役所 廃止】
先月6月4日、北信公共図書館連絡協議会の館長・庶務担当者会議が須坂市の旧上高井郡役所で開催されました。普段こうした会議は図書館で開催されることが多いのですが、今回は須坂市の指定有形文化財に指定されているこちらの建物で会議に参加させていただく貴重な機会をいただきました。
旧上高井郡役所は、大正6(1917)年に建築された、県内に唯一残る郡役所の建物です。
現在「郡」は、地理的名称として残されているだけですが、明治11(1878)年の郡区町村編制法で府県と町村の間の行政区画として「郡」が設置され、郡役所と郡長が設けられます。
その後、長野県では、明治24(1891)年に施行された「郡制」により、「郡」は県と町村の間に位置する自治体となり、議決機関としての郡会のほかに、郡参事会が置かれました。教育・土木など多様な事業を行う一方、課税権を持たないなど制約が多く、後の廃止運動の要因となります。
大正10(1921)年、郡制廃止案が衆議院・貴族院の両院を通過したことで、大正12(1923)年4月1日をもって郡制は廃止され、残務処理のため存置された郡長と郡役所も、今からちょうど100年前の大正15(1926)年6月30日限りで廃止されました。
県立長野図書館では、この際の郡役所廃止を記念して発行された記念誌の一部を「信州デジタルコモンズ」で公開しています。
長野県150周年の今年、長野県誕生とほぼ時を同じくして設置され、約50年間続いた郡役所の存在を振り返ってみるのはいかがでしょうか。
『[下伊那郡役所廃止]記念』
https://shinshu-dcommons.pref.nagano.lg.jp/library/02PH0114921877
『下水内郡制史』
https://shinshu-dcommons.pref.nagano.lg.jp/library/02BK0103236097
『掉尾の郡勢』(下高井郡役所)
https://shinshu-dcommons.pref.nagano.lg.jp/library/02BK0101975183

【あなたは何鉄?  #鉄道 資料を見てみよう!】毎年春に行われているJRグループの時刻表改正が、今日3月14日に行われました。合わせて接続する各種鉄道の時刻表改正も実施され、新しいダイヤ(と運賃)で通勤、通学を開始された方が多いと思います。...
14/03/2026

【あなたは何鉄?  #鉄道 資料を見てみよう!】
毎年春に行われているJRグループの時刻表改正が、今日3月14日に行われました。合わせて接続する各種鉄道の時刻表改正も実施され、新しいダイヤ(と運賃)で通勤、通学を開始された方が多いと思います。しなの鉄道では全線で交通系ICカードも使えるようになりました。
そんな鉄道の話題にちなみ、信州デジタルコモンズで公開されている鉄道関係の資料を紹介します。

現在の飯田線辰野-飯田間にあたる伊那電気鉄道が発行したのが『開通記念帖』です。序によると、本書は、中央線(中央本線)の敷設が木曽地方に決まった後、地方有志の発起による明治40年10月の会社設立の後、資金欠乏による幾多の危機を乗り越えて実現した、辰野-飯田間の全線開通(本書沿革によると大正12年12月8日)を記念して発行されたものです。
https://shinshu-dcommons.pref.nagano.lg.jp/library/02BK0101928786
その中央線の路線案内が『中央線案内』です。凡例によると、「中部鉄道管理局営業課員に於て勤務の余暇を以て編述したもの」とのことです。名古屋から塩尻、塩尻から長野、塩尻から八王子までのルートで、明治44年当時の各駅周辺の旅館や料理店、その土地の産物、遊覧地などを紹介しています。
https://shinshu-dcommons.pref.nagano.lg.jp/library/02BK0101827442
『小海線建設概要』は、昭和11年11月29日に、小海での旧佐久鉄道との連結で全線開通した小海線の建設概要を記したものです。八ヶ岳を中心に書かれた鳥瞰図が付されており、当時の長野県内の鉄道の敷設状況を視覚的に確認することができます。
https://shinshu-dcommons.pref.nagano.lg.jp/library/02BK0103395927
『工場要覧』は、現在の長野駅東口付近にあった鉄道省の長野工場の概要を記しており、工場平面図も含まれています。この工場は後に、太平洋戦争の終戦直前の8月13日に空襲を受け、8人の方が亡くなっています。
https://shinshu-dcommons.pref.nagano.lg.jp/library/02PH0102162757

【150年前の長野県  #長野県150周年 #ウスタヒ  #ハヘ って何だ?】今年は、1876(明治9)年8月21日に筑摩県と長野県が合併して現在の長野県が誕生してから150年目にあたります。長野県も、「⾃らを知り 互いを知り ⾼め合おう『...
10/01/2026

【150年前の長野県 #長野県150周年 #ウスタヒ #ハヘ って何だ?】

今年は、1876(明治9)年8月21日に筑摩県と長野県が合併して現在の長野県が誕生してから150年目にあたります。長野県も、「⾃らを知り 互いを知り ⾼め合おう『私たちの⻑野県』」をコンセプトに記念事業を実施し、各種記念イベントが開催されます。
https://150th.pref.nagano.lg.jp/

「信州デジタルコモンズ」でこの合併前後の年の資料を検索してみたところ、『長野縣一覧概表(明治9年7月調査)』(1876年発行)と、『長野県治一覧概表(明治10年6月調査)』(1877年発行)が見つかりました。
https://shinshu-dcommons.pref.nagano.lg.jp/library/02BK0103511689
https://shinshu-dcommons.pref.nagano.lg.jp/library/02BK0104162144
今でいう「県勢要覧」のようなものですが、前者は旧長野県の、後者は合併後の長野県に関する情報をまとめたものです。
(残念ながら同時期の旧筑摩県の同様の資料は当館では所蔵していませんが、国立国会図書館デジタルコレクションでは明治8年に作成されたものを閲覧することができます。
https://dl.ndl.go.jp/pid/806861 )

それぞれに掲載されている地図を見ると、当然ながら「東北信」の「長野県」や「中南信」(と飛騨地方)の「筑摩県」から、現在の長野県の姿へ変わったことがわかります。
明治10年の『長野県治一覧概表』に収録されている各種一覧表のうち、面白いのは「産物」の表でしょうか。
県内の産物が紹介されていますが、なじみのない漢字も少なくなく、それが何なのかを調べるのも楽しいかもしれません。
図書館内では、明治9年の『長野縣一覧概表』物産の中で「動物」に「ウスタヒ」、「ハヘ」、「蟻城」とあるのは何なのか、という話になりました。地元の方ならすぐわかるのかもしれませんが、前者は「山繭」と並んで書かれているので、天蚕糸をとる「ウスタビガ」、後者は千曲川川筋にいるので魚の「ハヤ」(ウグイ)ではないか、ということに落ち着きました。「蟻城」は現時点で有力な説がありません。

当館では、長野県150周年企画として、このような当館が収集してきた長野県に関する「郷土資料」を収めた書庫フロアに特化して自由に見学できる特別な書庫ツアーを、今年は通年で開催します。150周年にちなみ毎月15日(休館日に当たる場合は翌日)に実施する予定です。
詳しくはこちらのページをご覧ください。
https://www.knowledge.pref.nagano.lg.jp/now/news/naganoken150th_byt.html
オンラインフォームからお申し込みください。ご参加お待ちしております。

【明日は  #長野えびす講煙火大会 !】明日11月23日は、第119回目を迎える長野市の晩秋の風物詩「長野えびす講煙火大会」が開催されます。『日本でいちばん美しい晩秋の花火 第100回長野えびす講煙火大会記念誌』(2006年 長野商工会議所...
22/11/2025

【明日は  #長野えびす講煙火大会 !】
明日11月23日は、第119回目を迎える長野市の晩秋の風物詩「長野えびす講煙火大会」が開催されます。
『日本でいちばん美しい晩秋の花火 第100回長野えびす講煙火大会記念誌』(2006年 長野商工会議所発行)によると、打ち上げ場所が現在の犀川第二緑地公園になったのは平成3年(1991年)、開催日が11月23日となったのは平成7年(1995年)とのことです。打ち上げ場所は、当初の東鶴賀の高土堤から、戦後の住宅事情などを受けて旭山中腹、犀川河原、地附山中腹などを変遷、開催日も平成6年までは11月20日でした。中年の私にとっては、「今の形になったのは結構最近(?)なのね」という感じです。
「信州デジタルコモンズ」では、この煙火大会のプログラムを7点公開しています。
県立長野図書館が開館した昭和4年(1929年)の第31回大会や、戦前最後となった昭和15年(1940年)の第42回大会のものなどをご覧いただけます。
昭和12年(1937年)の第39回大会以降、表紙には「皇軍戦捷」「武運長久」などの時局を反映した言葉が見られるようになります。
一方、昭和15年の第42回大会は、「奉祝紀元二千六百年」とあるものの、前掲書によると打ち上げ総数364発は記録が残っている大正以降の大会では最少だったとのことです。
https://shinshu-dcommons.pref.nagano.lg.jp/library/02BK0102024999
戦後は火薬類の製造が禁止され、再開されるのは昭和23年のことです。
明日は天気も良いようで、晩秋の澄んだ空気の中、きれいな花火が見られそうです。県立長野図書館周辺も、開催時間が近づくと観覧に向かわれる方を多く見かけます。現地観覧の方は暖かくしてお出かけください。

【戦後80年特別企画展の展示資料をデジタル公開しました】県立長野図書館において令和7年7月26日(土)から9月25日(木)まで開催した戦後80年特別企画「読ませなかったもの と 読ませたかったもの-戦時下における『読書指導』を通して『知る自...
21/11/2025

【戦後80年特別企画展の展示資料をデジタル公開しました】

県立長野図書館において令和7年7月26日(土)から9月25日(木)まで開催した戦後80年特別企画「読ませなかったもの と 読ませたかったもの-戦時下における『読書指導』を通して『知る自由』を考える」には、多くの方がご来館くださり、様々な感想やご意見をお寄せくださいました。

このたび、当企画展で展示した主な資料類12点をデジタル化し、「信州デジタルコモンズ」へアップしました。
これらの資料は薄い紙で作られているものが多く、展示をご覧になる際は恐る恐るページをめくった方もいらっしゃったかと思いますが、デジタルであれば破損する心配がないのでじっくりとご覧いただけます。
ぜひ「信州デジタルコモンズ」から各資料をご覧いただき、改めて戦時下における読書の姿や「知る自由」について考える一つの材料としていただければ幸いです。

 1 『読書会用図書:昭和18年度文部省交付』
 2 『貸出文庫図書購入控 昭和16年文部省交付金』
 3 『勤労者読書会関係書綴』
 4 『下高井郡平穏青年沓野分団読書練成会概説』
 5 『読書会例会日予定表[ほか]』
 6 『松代青年団読書会誓約[ほか]』
 7 『小野読書会概況[ほか]』
 8 『希望図書調査[ほか]』
 9 『希望図書調査』
 10 『希望図書調査』
 11 『小野青年団読書状況調』
 12 『青年団読書会に関する文書綴』

▼信州デジタルコモンズ
https://shinshu-dcommons.pref.nagano.lg.jp/

▼戦後80年特別企画「読ませなかったもの と 読ませたかったもの-戦時下における『読書指導』を通して『知る自由』を考える」
https://www.knowledge.pref.nagano.lg.jp/now/mezasukoto/torikumi/sengo80/yomasetakattamono.html

【戦前の  #青年訓練所 と  #青年学校】  県立長野図書館では、9月25日木曜日まで、戦後80年特別企画「読ませなかったもの と 読ませたかったもの-戦時下における『読書指導』を通して『知る自由』を考える」を2階一般図書室内、ナレッジ・...
18/09/2025

【戦前の #青年訓練所 と #青年学校】
 県立長野図書館では、9月25日木曜日まで、戦後80年特別企画「読ませなかったもの と 読ませたかったもの-戦時下における『読書指導』を通して『知る自由』を考える」を2階一般図書室内、ナレッジ・ラボで開催しています。
 展示している資料の中に、昭和19年3月に長野県下7つの私立青年学校に設置された勤労者読書会に関する文書があります。
 勤労者読書会の趣旨として、「決戦下勤労青年読書指導ノ重要性ニ鑑ミ勤労者読書会ヲ指定設置セシメテ其ノ運営ヲ指導シ以テ勤労青年ノ資質ノ向上ニ資スルト共ニ思想指導ニ依ル戦時生産ノ増強ヲ計ラントス」とあり、国民読書運動の意図が分かるものとなっています(この文書綴りは追って「信州デジタルコモンズ」で公開しますが、今回は表紙と該当部分の画像を添付しています)。
 戦前の学校制度は複雑ですが、指定読書会が設置された「青年学校」とは、青年学校令(昭和10年(1935年)4月1日交付)により、それ以前に設置されていた「実業補習学校」と「青年訓練所」が統合され、昭和22年(1947年)4月の新学制まで存続した勤労青年の教育機関です。
 昭和19年当時は、生徒は軍需物資生産関係の工場などに動員され、教育機関としての機能はほぼ停止していました。
 今回紹介する『青年訓練所一覧』は、実業補習学校との統合により青年学校が発足する前年、昭和9年(1934年)に長野県社会課が発行したものです。
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0102181286
 青年訓練所は、16歳以上の男子勤労青年に主として軍事訓練を行うため、大正15年(1926年)に設置された教育施設で、「その背後には、陸軍の、勤労青年と接触面を拡充し、軍人による国民統合をはかろうとの意図」がありました(『国史大辞典』)。
 『国史大辞典』には、授業料の徴収はなく、入所者には在営年限短縮という特典があったものの、在郷軍人による軍事的訓練への反発からか入所者は該当者の3分の1程度にとどまった、と記載されています。一方、本書に「参考表」として付されている「全国青年訓練所生徒入所出席歩合調」に入所者歩合として記載されている数値はそこまで低いものではありません。
 青年学校への改組後、昭和14年(1939年)入学の男子普通科入学生(12歳)は、普通科(2年間)・本科(5年間)の7年間が義務化されることになります。
 冒頭の企画展は会期が残りわずかとなりました。ぜひ県立長野図書館にお越しいただき、ご覧ください。

【昭和10年の  #中野町 】「信州デジタルコモンズ」では、デジタル化を実施した資料のうち、著作権保護期間の満了が確認できたものを順次公開しています。ある程度まとまった段階で新規掲載資料をまとめてお知らせする予定ですが、最近公開したものに『...
25/06/2025

【昭和10年の #中野町 】
「信州デジタルコモンズ」では、デジタル化を実施した資料のうち、著作権保護期間の満了が確認できたものを順次公開しています。
ある程度まとまった段階で新規掲載資料をまとめてお知らせする予定ですが、最近公開したものに『中野まち』があります。
先月、北信地区の公共図書館の会議が、長野電鉄信州中野駅近くの中野市立図書館で開催されたこともあり、この本が目に留まりました。
昭和7年に発行され、昭和10年に改訂された、当時の中野尋常高等小学校が編集・発行した図書です。現在も小学校高学年で実施されている郷土学習の副読本のようなものだったのでしょうか。
ページをめくっていくと、カーブを描く線路が記入された3コマ目の地図が目に入ります。
2002年に廃止された長野電鉄木島線の線路も見られます。
一見して、桑畑が多くあることが分かります。信州中野駅の南東にある、現在の図書館の場所も桑畑だったようです。
町中心部を拡大した17コマ目の地図を見ると、「松川停留所」の南に小学校、現在の中野立志舘高校の位置に「県立農学校」(後の中野実業高校)、その東側に「県立高等女学校」(後の中野高校)などがあるのが分かります。「県立高等女学校」の北には「館跡」(高梨氏館跡)も記されています。

今昔の地図の比較は、地元の方であればもっと楽しめるのではないかと思います。
来月には夏休みも始まり、自由研究に頭を悩ませるお子さんも多いかもしれません。
「信州デジタルコモンズ」掲載資料や、「信州地域史料アーカイブ」掲載の「長野県町村誌」関係資料などを使って、町の移り変わり(当時の「町村」の単位はほぼ現在の小学校の通学区だと思われます)を研究するのはいかがでしょうか。
https://adeac.jp/shinshu-chiiki/top/topg/nagano-pref-mun-mag-and-historic-sites/index.html

【 #松本市立博物館 の前身、 #松本紀念館 】100年前の資料を、と探してみたところ『松本紀念館』が見つかりました。奥付を見ると、明治39年に発行された後、数度の改訂を経て大正14年(1925年)に発行されたもので、「紀念館」の沿革や収蔵...
10/05/2025

【 #松本市立博物館 の前身、 #松本紀念館 】
100年前の資料を、と探してみたところ『松本紀念館』が見つかりました。
奥付を見ると、明治39年に発行された後、数度の改訂を経て大正14年(1925年)に発行されたもので、「紀念館」の沿革や収蔵品の来歴や目録などが収録されています。
この「紀念館」ですが、「由来沿革」や『松本市史 第2巻歴史編3』(1995年)によると、松本から日露戦争に出征した軍人の多くが松本尋常高等小学校(現在の開智学校)の出身だったため、現地で得られた品々に手紙を添えて学校へ送り、学校でこれらに解説を加えて展示し、生徒、一般市民の戦時教育に役立てようとしたことから始まったようです。
終戦に至り、帰還した人たちからの武器や多くの記念品、松本出身の軍人福島安正氏、太田貞固氏からも寄贈を受け、明治39年、校内に別棟として「明治三十七八戦役紀念館」が建設され開館しています。
沿革中には、その沿革や収蔵品の来歴などが「官報」にも掲載された、と紹介されています。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2950393/1/5
(右ページ「学事」中)

「沿革」には、明治43年に「信濃図書館」の分館を併置した、とあります。
「信濃図書館」は、信濃教育会により明治40年に長野市に設立され、県立長野図書館の前身となった図書館です。この分館は大正9年まで存続したようです。浅学でこのことを知りませんでしたが、松本市にも「信濃図書館」の蔵書印が押された図書が多くあるのかもしれません。

「紀念館」は、昭和6年に松本市に移管、12年に松本城二の丸の県立松本中学校跡へ移転、昭和23年に松本市立博物館となっています。
外出に良い気候となってきました。各地の博物館などへもお出かけください。

【110年前の  #焼岳】新聞を見ていると、北アルプス焼岳の噴火警戒レベルが1(活火山であることに留意)から2(火口周辺規制)に引き上げられたという記事が目に留まりました。ご存じのように、大正4年(1915)の焼岳の噴火で、噴出した熔岩や泥...
13/03/2025

【110年前の  #焼岳】
新聞を見ていると、北アルプス焼岳の噴火警戒レベルが1(活火山であることに留意)から2(火口周辺規制)に引き上げられたという記事が目に留まりました。
ご存じのように、大正4年(1915)の焼岳の噴火で、噴出した熔岩や泥流によって梓川が堰き止められてできたのが大正池です。
焼岳に関する資料を「信州デジタルコモンズ」で検索したところ、『焼嶽調査報告 続』と『浅間山噴火記録及焼岳踏査報告書』があり、前者が後者の「焼岳踏査報告」の「続」にあたるのかもしれません。
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0101915171
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0101915213
前者『焼嶽調査報告 続』では、緒言に「本書ハ明治44年1月以降ノ噴火降灰事情ヲ蒐集シテ、續焼岳調査報告トシテ茲ニ之レヲ発刊ス」とあり、大正8年11月までの事情がまとめられているようです。
気象庁のホームページを見ると、大正4年の噴火では「山頂東側の標高約1900mの台地から山頂東側壁に達する長さ1kmの大亀裂を生じ、この底部に数十個の火口生成」とあります。当時のスケッチでも、噴火に遭遇した方の談話にも、「山ノ東側ヲ頂上カラ麓迄トテモ大キク裂ケタ」ことや、川が堰き止められたことに触れています。
現在の景色の成り立ちという文化・歴史的意義と同時に、やはり過去の事例から学ぶ防災意識もこうした資料から得られることではないでしょうか。

住所

若里1-1/4
Nagano-shi, Nagano
380-0928

営業時間

火曜日 09:00 - 19:00
水曜日 09:00 - 19:00
木曜日 09:00 - 19:00
金曜日 09:00 - 19:00
土曜日 09:00 - 17:00
日曜日 09:00 - 17:00

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