18/07/2026
【幕末に輸入された #長崎東衙官許 図書】
(普段「信州デジタルコモンズ」掲載の資料を紹介しておりますが、今回紹介の資料は、それに該当しないものとなります。)
オランダ、といえばワールドカップ2026での対戦(6月15日)を、「あれからもう1か月以上経ってしまったのか」と遠い目で思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。
県立長野図書館では、江戸時代末期に、そのオランダから輸入された書籍を所蔵しています。
https://www.knowledge.pref.nagano.lg.jp/collection/other/index.html 内「信濃教育会寄贈オランダ語関係図書」に目録掲載
「寄贈 信濃教育会」という印があり、昭和4年の県立長野図書館開館に際して信濃教育会から寄贈されたものと思われます。
これらの図書については、昭和17(1942)年9月発行の『読書信州』で、上智大学教授池田哲郎氏が「我国精神科学史上徳川時代に於ける蘭学の与へたる影響及びその発達経路を調査する為」来館したという記事が掲載されています。
また、昭和33(1958)年に発行された『蘭学資料研究会研究報告(26)』で、その目録を掲載しており、研究者にはこれらの図書の存在は知られていたのかもしれません。が、その特殊性からか、所蔵目録の電算化の対象となっておらず、今日ではその存在について知る人も少ないと思われます。
このうち、『Gronden der toegepaste werktuigkunst』などには、上記寄贈印のほか、由来を示す印がいくつか見られます。
「長崎東衙官許」については、宮脇英俊氏による、「『長崎東衙官許』捺印資料の一考察:長崎大学武藤文庫所蔵の蘭書を中心に」(『九州地区大学図書館協議会誌』68 2026年)で、「この印は、幕末の徳川幕府が長崎奉行に命じた輸入洋書の検査制度に基づくものであり、その職務は長崎奉行所立山役所が担った。検査を通過した洋書には「長崎東衙官許」の印が捺され、この検印は、幕末期に日本へ舶載された洋書が、公式な検閲を経て国内に流通したことを示す重要な手がかりとなる。」と説明されています。
「陸軍所」は、『国史大辞典』によると、慶応2(1866)年11月に、幕府が旗本・御家人の砲術修行の場所として旧講武所を改称して設置したものの、明治元(1868)年4月に消滅した機関とのこと。同じく『国史大辞典』では「沼津兵学校」(印は「沼津学校」)について、明治元年の徳川家の駿府への移封の決定後、幕府が残した書籍・器械や人材の活用のため、明治2(1869)年に開校した、とあります。明治4(1871)年の廃藩置県を経て兵部省へ移管、改称を経て明治5年陸軍兵学寮東京本校に吸収されたとのことです。「沼津学校」の蔵書印の上に「拂」印が押されていますので、幕末にオランダから幕府の公認で輸入され、引き継がれた幕府の蔵書としての役割はここで終えたということのようです。
その後、「三浦省吾」氏の手に渡り、信濃教育会を経て当館へ寄贈された、ということが推測されます。
この三浦氏ですが、株式会社リプロ様提供のウェブサイト「おもしろ地図と測量」(山岡光治様作成)のコンテンツ「地図測量の300人 日本人篇」で紹介されている方と同一と思われます。
https://www.ripro.co.jp/yamaoka/ac-main.htm (2026年7月18日アクセス確認)
現在の千曲市に生まれ、佐久間象山に学んだ後、その推薦で勝海舟に寄宿し、幕府の海軍に勤め、戊辰戦争にも従軍。「赦免されて静岡藩に属し」とあるので、沼津兵学校との接点はこの辺りにあったのかもしれません。その後工部省測量司、内務省地理局などで測量に従事したようです。
御子孫の上田はる様が『私の資料探訪(1) 小川家の人々』、『私の資料探訪 小川家の人々 三浦省吾補遺』でも詳しく紹介されています。
古い物はオランダでの発行から200年。経てきた歴史を蔵書印が一層感じさせる資料ではないでしょうか。