25/08/2026
怒りって、ある意味「執着すること」なんだと思う。
腹の立つ相手のことを何度も思い出し、言われた言葉を反芻する。その間ずっと、自分の大切な時間を、その相手のために使っとるんだよね。
しかも怒りや争いって、思っている以上に心も身体も消耗する。
これは自分自身、身に染みて感じている。
私はこれまで、必要に迫られて数度、訴訟を起こしたことがある。その判断を後悔はしていない。
でも、長い期間、毎日のようにそのことを考え、資料を整理して、相手の主張を読み、反論を考え、弁護士と協議をして、準備書面のベースをこつこつと作る。
あれは本当に疲弊した。
争いってお金だけじゃなく、自分の時間も、心も、体力も使う。つまり、自分の人生の一部を使うんだよね。
そもそも人と人との争いって、案外些細なところから始まったりする。
誤解や思い込み。プライドや体裁。欲や利害。嫉妬や劣等感。価値観の違い。
そこに噂や陰口、「誰々がこう言っていた」なんて伝聞が入ると、本人同士で話せば済んだことまで、どんどんとややこしくなる。
SNSは特に、それを増幅させやすい。
文脈が抜け落ち、伝聞や憶測が広がり、第三者が加わって、批判に批判が重なっていく。
そうしているうちに、争い始めた原因と、争い続けている理由まで違ってくる。
最初は小さな行き違いだったのに、いつの間にか問題を解決することより、「どちらが正しいか」「どちらが引くか」という勝ち負けの話になってしまう。
これは不毛だと思う。
人が集まれば、考え方も違えば好き嫌いもある。
同じ志を持つ人たちだからこそ、「全体のため」「仲間のため」という思いからぶつかることだってある。
だから、争うこと自体が全部悪いとは思わない。ただ、そんなときこそ一度、目的に立ち返ってみたい。
何のためにここにいるんだっけ
何を成し遂げたかったんだっけ
組織も団体も政党も、それぞれの理想や志を現実にするための手段、プラットフォームなんだと思う。
政治なら、有権者に理解してもらう。支持を広げる。議席を得る。そして政策を実現する。
本来そこに使うはずだった時間や力を、内輪の争いや噂話、SNSでの終わりのない応酬に使っていたら、もったいない。
当事者には大問題でも、一歩外から見たら「一体、何をそんなに争っとるの?」ということだってある。
もちろん、守るべき人や尊厳、権利、譲れない信念のためには、戦わなきゃいけないこともある。
だから大切なのは、「争うか、争わないか」じゃない。
何のために争っているのか?
その争いは、本来の目的に近づいているのか?
そこなんだと思う。
人間の死亡率は100%。
三十年後かもしれない。三年後かもしれない。明日かもしれないし、数時間後かもしれない。
そう考えたら、限られた時間を何に使いたいだろう。
嫌いな人のことを考え続けることなのか。
終わりのない争いに使うことなのか。
もっと大切な人がいるし、もっと大切なことがあるはず。
時間って、結局は自分の命そのものなんだよね。
守るべきもののためには戦う。
でも、限りある命の時間なら、本当に大切な人や、本当に成し遂げたいことのために使いたい。
最近、そんなことをよく思うのだ。